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岩田榮吉の作品

 作品点描
  《香炉と宝石箱》カラヴァッジョ再認識



《香炉と宝石箱》は、16~17世紀のヨーロッパ史をテーマにした岩田一連の静物画(作品点描~ポルトガルとスペイン(その1:大航海時代)作品点描~ポルトガルとスペイン(その2:《ルイブラス》) 参照)と同工の作品です。これら一連の静物画は、スペインのカラヴァッジョとも称されたフランシスコ・デ・スルバラン(1598~1664年)に通じる画風ですが、やや時間をおいて制作された本作は、スタイルこそ同様ながら少々趣向を変えて「本家」カラヴァッジョその人をテーマに重ねています。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571~1610年)は、今日ではその天才的画業と、凶暴な所業が広く知られています。しかし、フェルメール以上に長い間忘れられた存在で、「復活」は1951年にイタリア・ミラノで開催された「カラヴァッジョとカラヴァッジェスキ」展が契機でした。1957年に渡仏するまで、おそらく岩田はほとんどカラヴァッジョを知らなかったと思われます。

1958年、イタリア旅行に出た岩田は、ローマのボルゲーゼ美術館でカラヴァッジョと対面しますが、当時の日記には次のように感想が書かれています(人物点描~1958年のイタリア旅行(その1) 参照)。「 《蛇の聖母》:背景の真っ黒さ加減は…。 《執筆する聖ヒエロニムス》:布の描写=しわが説明的…。 《ゴリアテの首を持つダヴィデ》:空間が感じられない…。」それでも岩田はカラヴァッジョのモノクロ・ポストカードを数枚買っています。

おそらく岩田は、その後に知り合ったアンリ・カディウを始めとする「パントル・ド・ラ・レアリテ」の画家達を通じて、1951年の「カラヴァッジョとカラヴァッジェスキ」展の詳細を知り、スルバランとその静物画を知り、レンブラントの師にあたるピーテル・ラストマンも「カラヴァッジェスキ」であったことを知り、さらにルーヴルに通ってそれら画家たちの作品群を観覧して、カラヴァッジョを見直したのではないでしょうか。

あらためて岩田の《香炉と宝石箱》を見てみましょう。画面外左斜め上方辺りから射込む光を受けて、壁龕のオブジェが、陰になった奥側壁面と強いコントラストで浮び上っています。中央は「振り香炉」。キリスト教(カトリック、正教)の礼拝に用いられますが、ここでは無造作に掛けられ、仮面(ベネチアンマスク)が括り付けられています。右下に宝石箱、右上に懐中時計。そして左下にラッパと火の消えたローソク。

ここでは、教会祭壇画を多く手がけたカラヴァッジョが決して模範的キリスト教徒ではなかったことを香炉とマスクで表象しています。そして画面右半分では、宝石箱が得た名声を、懐中時計が時代を画す成果を示し、画面左半分では、ラッパが放蕩を、火の消えたローソクが行倒れ同然の最期を表して、その劇的な生涯と功罪を強い明暗でまとめています。岩田らしく手をかけた香炉の細密描写も見どころです。


岩田栄吉《香炉と宝石箱》 1977年
岩田栄吉《香炉と宝石箱》 1977年


本作は、1977年のナシオナル展(パリ グラン・パレ)、および第2回個展(東京セントラル絵画館)、1955年の岩田榮吉回顧展(東京セントラルアネックス)に出品されたほか、1978年9月2日日本テレビ放映の「美の世界/“魅惑のマチエール”画家・岩田榮吉」においても取上げられた。
なお、ナシオナル展への作品搬入風景については、人物点描~パリ・1968年頃の展覧会事情の写真を参照されたい。


カラヴァッジョ 《アロフ・ド・ピニャクールと小姓の肖像》 1607-1608頃 油彩/キャンバス 194cm×134cm ルーヴル美術館
カラヴァッジョ 《アロフ・ド・ピニャクールと小姓の肖像》 1607-1608頃
油彩/キャンバス 194cm×134cm ルーヴル美術館



アロフ・ド・ピニャクールは、聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)の団長であり、1607年、殺人を犯して逃亡中のカラヴァッジョをナポリから迎えて本作を制作させたと伝えられる。
岩田は本作をルーヴル美術館で見たと思われる。また、本作は、日本に初めて来たカラヴァッジョ作品でもあり、1966(昭和41)年に東京国立博物館で開催された「フランスを中心とする17世紀ヨーロッパ名画展」で公開されている。
なお、ルーヴル美術館所蔵のカラヴァッジョ作品は、本作のほかに、《女占い師》、《聖母の死》がある。


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