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岩田榮吉の人物と経歴

 人物点描
  「永久労働手帳」



1973年12月、芸大への復帰・専任教員就任への打診を辞退した岩田は、いわば「退路を断って」、いよいよパリでの活動に没頭します。この時期、それを後押しする出来事が2つありました。そのひとつは、1971年にフランスの「永久労働手帳(職業:通訳・翻訳家)」を取得したこと、もう一つは1973年6月、サロン・ナシオナル・デ・ボザールより、絵画部門会友(アソシエ)から正規会員(ソシエテ―ル)への昇格通知を受けたことです。

いわば生活基盤と画業展開の両面で地歩固めを進めた形ですが、とりわけ「永久労働手帳(職業:通訳・翻訳家)」の取得は実生活上大きな意味を持っていました。フランスではオイルショック後の1974年、外国人の就労に関する政策を大きく転換し、規制を強化するようになります。これ以後、外国人がフランスで働いて所得を得ながら実質的に永住する権利を新たに獲得することは格段に難しくなったのです。

心行くまで絵と向き合っていたい、売るためだけには描きたくない、会心の作は売りたくない…という岩田にとって、拘束時間が比較的少ないうえに稼得効率も良い通訳・翻訳はまさに「うってつけ」の仕事でした(人物点描~翻訳家岩田とフランス語 参照)。それを続けられる環境が保証されることは、大きな安心につながります。加えて、絵画関係だけでなく、デザイナーやイラストレーターなど周辺分野との接点を広めるにも好適だったのです。


岩田の遺品から「永久労働手帳」表裏
岩田の遺品から「永久労働手帳」表裏


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