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岩田榮吉の作品

 人物点描
  絵の味


岩田が学生時代の1950年代初め、その小説作品が文庫化されて広く読まれるようになった作家に堀辰雄がいます。岩田は渡仏後間もなくの1957〜58年頃、留学生仲間の岩崎力を通じてプルーストを知り、さらにプルーストが賛辞を送ったというフェルメール作品を実際に見て傾倒するに至りましたが、堀は既に岩田が生まれたばかりの1930年には、プルーストの影響の色濃い作品を発表しています。岩田が読んでいたかどうか定かではありませんが、その堀の掌編小説に『窓』という作品があります。

そのあらすじは、…恩師Aの遺作展に出品する《窓》という絵を借りるため、沼地の奥の古い別荘にひっそりと暮らしている盲目の老婦人を訪ねた私は、その絵がいつの間にか当初描かれていたものとは変わってしまったという奇異な話を聞くが、薄暗い廊下を案内されてその絵の前に立つと、不思議な光の射すまさしく「窓」の中に、以前見たときには描かれていなかったはずのAの顔が浮び上り、生前のAと老婦人が互いに寄せた深い思いの反映ではないかとの感にとらわれるのだった…というものです。

作中のAは、堀が師と仰いだ芥川龍之介であるとされていますが、次のくだりがあります。『私はA氏とともに、第何回かのフランス美術展覧会にセザンヌの絵を見に行ったことがあった。私達はしばらくその絵の前から離れられずにいたが、その時あたりに人気がないのを見すますと、いきなり氏はその絵に近づいて行って、自分の小指を唇で濡らしながら、それでもってその絵の一部をしきりに擦っていた。…氏はその緑色になった小指を私に見せながら、「こうでもしなければ、この色はとても盗めないよ。」と低い声でささやいたのであった。

実際にあった話か、創作なのかは不詳ながら、岩田にも、「フェルメールの《牛乳を注ぐ女》を舐めた」という話が伝えられています(加賀乙彦「岩田榮吉さんの想い出」岩田榮吉画集 所収)。同じ加賀乙彦の自伝的な作品『頭医者留学記』に登場する画家「小岩」にまつわる話(人物点描〜加賀乙彦『頭医者留学記』に登場する画家「小岩」 参照)の続きのようですが、「こうでもしないととても盗めない」と思うほど強い印象を得たことは堀の小説挿話に通じるのではないでしょうか。


ポール・セザンヌ 《果物鉢とコップとりんご》 1880年頃 キャンバス/油彩 46×55p ニューヨーク近代美術館
ポール・セザンヌ 《果物鉢とコップとりんご》 1880年頃
キャンバス/油彩 46×55p ニューヨーク近代美術館


芥川龍之介『文芸的な、余りに文芸的な』の中の『「話」らしい話のない小説』で触れているセザンヌの絵

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