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岩田榮吉の人物と経歴

 人物点描
  レアリテの画家たちと(その1 クロード・イヴェル)


「パントル・ド・ラ・レアリテ」はアンリ・カディウをリーダーとし、岩田と同じく写実的な細密描写を志向する画家グループです(人物点描~<パントル・ド・ラ・レアリテ>アンリ・カディウとの出会い 参照)。このグループ名は「写実の画家たち」と解されそうですが、当時の美術界の排他的風潮に対抗し自分たちの存在を主張する強い意志が込められおり、「現実の画家たち」と解するのが適切です。メンバーのクロード・イヴェルの足跡と証言から、それは強く感じられます。

クロード・イヴェル(Claude Yvel 1930~ )は、14歳でアンリ・カディウの私塾に入門した「叩き上げ」のカディウ愛弟子です。1歳違いの岩田とは親交があり、岩田について「感じがよく、慎み深く、大きな才能を持った人でした。一緒に展覧会に出品したこともよくありましたが、…彼の作品にはとても強い感情があります。彼の絵はまるで自身の内面をそのままスキャンしているかのようです。」と回顧しています。

岩田の場合もそうでしたが、イヴェルは、写実系の画家のほとんどが遭遇した第2次大戦後の逆風を岩田以上に強く受けた一人かも知れません。彼は一時期フランスを離れ、カナダに渡り、さらに中国に渡って瀋陽美術学院で教鞭をとっていました。彼の記憶に残るその時代の象徴的出来事は、岩田が未だ参加していない1960年、マドリードで「パントル・ド・ラ・レアリテ」の展覧会を開いた時のことであったと言います。

(現地の)大使館は展覧会のオープニングセレモニーをしたいと申し出てくれたのですが、(本国の)文化担当官が「パントル・ド・ラ・レアリテ」はフランスのアートを正式に代表するものではないと私たちを拒否するように言ったのです。当時フランスでは、写真の登場で写実絵画は無意味になったという議論が盛んでした。「写真は芸術を表現から解放した」と言ったのはアンドレ・マルローです。文化大臣にこんなことを言われてはたまったものではありません。

イヴェルは続けます。「でも私が言いたいのは、写実的な絵画は写真ではないということです。絵画には画家の魂が込められています。岩田の話に戻りますが、彼はモチーフを設定して、それを自身のポエジーや感情とともに写し取っています。モチーフを描いているだけ…なのではなく、彼の描くものは手で触れなくとも、感じることができるのです。それこそが彼の作品を豊かなものにしています。

(文中イヴェルの発言引用は、オリヴィエ・ドゥグリーズ氏から横浜本牧絵画館にあてた2017年10月30日付のインタビュー資料及び報告に基づくものです。)


岩田の遺品から 1980年12月のイヴェル個展案内

岩田の遺品から 1980年12月のイヴェル個展案内
岩田の遺品から 1980年12月のイヴェル個展案内


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