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岩田榮吉の作品

 作品点描
  《岩田ナヲの肖像》(その2 修復後)



発見され修復された《岩田ナヲの肖像》画面を見ると、左下隅の文字は「榮」の一字、作者のサインでした。また、人物の顔などの筆致は、岩田榮吉の《自画像(中村先生アトリエにて)》(1949年作)によく似ています。本作は、岩田によって1949年前後に描かれた母の肖像である可能性が極めて高いと思われるのですが、サインについてはなお確認の余地があるかもしれません。

岩田のサインはほとんど例外なく「E.IWATA」または「IWATA」が用いられ、「榮」サインの作品は(これまでのところ)本作以外には認められません。しかしながら「中村先生」=中村新次郎(1906-2003)やその教室の関係者にも、岩田家の関係にも、岩田以外に「榮」のサインを用いそうな人物は見当たりません。岩田の実母の没年が1948年であることも考えあわせると、その頃に描かれた岩田作と判断して間違いはないでしょう。

それでは、どういう制作過程を経て描かれた作品でしょうか。「生前の母を眼前に描いた」、「生前のスケッチを基に没後描いた」、あるいは「没後、写真を基に描いた」のいずれかですが、残された母の写真を基に、母の没後、《自画像(中村先生アトリエにて)》が描かれるより前の時期(1948~49年ころ)に描かれたものと考えるのが穏当ではないでしょうか。折々正装して近隣の写真館で写真を撮ることは、当時よくあったことです。

それではなぜ「極めて悪い状態で発見され」るに至ったのでしょうか。姉弟の手許にあれば、当然大切に扱われたはずです。鍵はこの作品が辿った境遇、岩田姉の手に渡った経緯にありそうです。想像に過ぎませんが、それまで存在を知らなかった(あるいは行方不明となっていた)この作品を手にした時、「冷遇」され毀損著しいことを悲しんだ岩田姉が、弟に知らせるに忍びなくそのまましまい込んでいた…のではないでしょうか。

修復後の《岩田ナヲの肖像》については 岩田榮吉の世界 「光の由来/影の行方」2023年10月14日(土)~2024年1月21日(日) に出品いたしました。是非ご覧ください。


《岩田ナヲの肖像》 1948年頃
《岩田ナヲの肖像》 1948年頃


左下部「榮」サインの拡大(ブラックライト照射)
左下部「榮」サインの拡大(ブラックライト照射)


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