岩田榮吉の作品
作品点描
ガラス玉のモチーフ(その2:《人形とガラス玉》)
ガラス「玉」と日本語で言えば、「丸い形をした立体=球」を思い浮かべます。英語ならsphere、フランス語でsphèreです。ところで西洋美術においては、一定のモチーフにそれぞれ特別な意味が付与され、繰り返し用いられ一定の約束事として定着してきた歴史があります。その教えるところによれば、「玉」ないし「球」はglobe(英仏語とも)であって、単なる幾何球体にとどまらず、「地球」であり「地球から見た宇宙」のイメージが濃厚です。
岩田は、「ガラス玉」のモチーフを、
《ローソク立てとガラス玉》ではヴァニタス絵画流に取上げましたが、他のほとんどの作品においては、「外界」「自然界」あるいは「世界」を表象するものとして扱っています。とくに人形とともにあるガラス玉は、その空間を規定し大きな影響を及ぼす環境世界であると同時に、取り組み働きかけなければならない対象であることを表しています。
岩田の《人形とガラス玉》(画集No.76)では、画面右上方から左下方への対角線上にガラス玉・輪とコンパスが並び外界と身の回りの出来事が示され、左上方から右下方への対角線上に鍵・角笛・小物箱などが並んで思索と発信の活動が示され、両対角線の交差するところにとんがり帽を被った人形(=岩田自身)の頭部があります。つまりこの作品の主題は岩田の創作活動そのものにあるのです。
《人形とガラス玉》 1977年 (画集No.76) 個人蔵
ところで、同名の作品がもう一つあります(画集No.83)。先の作を(A)こちらを(B)とすると、同年の作で似通った仕上がりながら、(A)は20号、(B)は6号サイズです。推測するに、(B)は元々(A)の習作として描かれたものだったところ、個展(1977年)用に手を入れて別の完成作としたものではないでしょうか。とはいえ、こちらの(B)はまた違った観点から示唆に富む作品です。
(A)と比べてみれば、人形が大きく、ガラス玉と角笛は共通していますが、馬と砂時計は(A)にはありません。外界の出来事の中に不穏の陰りを感じさせ、創作においても、「限りある時間の中で何ができるだろうか」という一抹の諦観が漂う雰囲気を醸しています。(B)と(A)の間の大きな違いは、技法・技巧上の問題ではなく、キャンバスに相対する岩田の気持の整理がついたことにあるのではないでしょうか。
《人形とガラス玉》 1977年 (画集No.83) 個人蔵